風に吹かれて

MKKが好きなことを書いたり、怒ったりするブログです。

結婚はとりあえず置いといて、出産ってしなくちゃいけないものなの?

※流産、死産の話題が苦手な方、不妊治療中の方、産みたいけれど産めない事情がある方はこの記事を読むと不快になる可能性があるのでお控えください。
特定の誰かを非難したり、見下してもいませんのでご理解ください。

「私の人生観を変えた赤ちゃんの存在」という見出し以下が流産、死産の話題になりますので、ご注意ください。(この見出し以前でも完結するように記事は書いてあります。)

 

私の生い立ち

この記事のタイトルにあるように私は積極的に子どもを持ちたいと思っていない。このことを語るにはまず私の育った環境などを簡単に説明する必要があるだろう。 

私は専業主婦の母とサラリーマンの父の間に産まれ、バブルをなんとなく体感した一般的な(たぶん)30代前半の女である。

 両親は基本的に放任主義で、「女の子なんだから〇〇しなさい」などと言うこともなく、女の子らしい服装や遊びも強要されなかったと記憶している。幼少期は絵本やシルバニアにハマりつつファミコンや近所の男の子たちと共に公園での泥遊びや秘密基地づくりも楽しみながらのびのびと成長した。顔に大きなすり傷を作ったことも2度ほどあるし(傷跡が残らなかったのが不幸中の幸いだった)、運動神経が悪かったことと不運が重なって骨折もしたことがあるヤンチャな子どもであった。学生の頃に治安がいいとは言えないアジアやラテン・アメリカ方面を旅行したいと言っても両親は「うん、行けば?」とあっさり許してくれ、小遣いまでくれた。もう両親には超感謝である。2人が結婚し、私が産まれ、自由に育ててくれたので今の私がいるのだから。

 

母の口癖のひとつに「私は下女じゃない」という言葉があり、幼い頃はふーんと思いながら聞き流していたが大人になってからなるほどなと思うようになった。団塊世代の父は頭が固い頑固オヤジというわけではなかったが、「男は外で働いて家のことは女がするもの」と思い込んでいるところがあり、何かと母に頼りすぎていた面があった。母は家事と3人の子どもの育児をしながらお菓子作りや手芸、草木染などの趣味も楽しむ人だったので、4人目の大きな子どもの世話までする余裕はなかっただろう。忙しい時や疲れがピークに達した時の一言が「私は下女じゃない」だったと想像している。現在はパートナーと暮らしているのだが、「私は家政婦じゃない」と怒りを面に出さないように言うこともあり、あの頃の母の気持ちが少しだけわかったような気がする。

 

お互い言いたいこと言い合い、男女平等を目指しながら家庭を運営していた両親を見ながら育ち、漠然と「私もオトナになったら結婚して子ども持つのかな」と考えるようになったのが10代後半。20代になると具体的に結婚を意識する異性の存在もちらほら現れるようになった。結婚後の具体的なプランを語ってくれる人もいたがそこには当たり前のように子どもの存在があった。「子どもを作ってこういう家庭を築きたい」とうっとりとした表情で語る好きな男。私は相手の気持ちを肯定することはできても同意して付き合いを継続することができなかったのだ。その時はあまり深く考えず、好きな人と別れなければならないことが悲しくてたまらなかったが、今考えればこれが結婚&出産観のターニングポイントだったのかもしれない。

以上のことを踏まえて私が「積極的に出産したくない」と思うようになった経緯を説明したい。

 

結婚、出産って人に言われてしなくちゃいけないの?

一般的な親が成人した子どもにどういうことを言うのか詳しくは知らないが、私の両親は「早く結婚しなさい」とか「早く孫の顔を見せて」と言ったことが一度もない。母は「結婚するだけが人生じゃない」とまで言う人だ。私は家で結婚、出産に関して息苦しい思いをしたことがたぶん一度もない。しかし、20代半ばを過ぎると身近な人たちが「早く結婚しないとね」とか「出産は若いうちの方がラクよ」と親切心という名のお節介をむき出しにして語りかけてくることが多くなった。今なら「でたー、余計なお世話!」と思って聞き流すことができるが、こういう言葉に免疫がなかった私にはとても負担になって20代後半の人生に暗い影を落とした。一時期は軽いうつ状態にまでなってしまったほどだ。ご不快に思われる方もいるかもしれないが、結婚、出産に関して言われた言葉を一部記しておきたい。

・「産めばなんとかなるから!」(アラフォー独身男性)

・「私は離婚したから子どもが産めなかったけれどあなたには産んでほしい」(アラフォー独身女性)

・「結婚する気がないならアイツと別れてやれ!」(アラ還独身男性)

・「出産は若い方がラクよ」(アラフォー既婚子持ち女性)

・「早く出産しないとダウン症のリスクとか上がるよ」(40代既婚子持ち男性)

・「子ども産める体なんだから産んだ方がいい。子どもがいないと老後が大変よ」(50代独身女性)

・「出産しないと乳がんのリスクとか上がるんだよね」(20代前半童〇っぽい男性)

・「結婚できない理由でもあるの?」(40代既婚子持ち女性)

・「何で結婚しないの?」(アラフォー独身女性)

・「子どもが嫌いじゃないなら産むべき!」(アラフォー独身女性)

 

 うーん、下にツッコミの言葉を付け加えたい(笑)が、読みにくくなるので割愛する。(別の記事にしてツッコミしようかなぁ。未婚の人がこういうこと言うのこと皆さんはどう思うだろうか?)ほとんどの方がそこまで親しくない顔見知り程度の人で、私がいろいろ言いやすい人間なのか、田舎の「余計なお世話文化」の影響なのか判断し難いがすべて実際言われたことである。正論もあれるが年齢や社会的立場などを考えるとどつきたくなる言葉もある・・・。私には脅しのように感じられる言葉もあり、怒りと悲しみが入り混じった感情に飲みこまれてしまうこともあった。独身の人にとっては「結婚(出産)しようと思えば結婚(出産)できるのになぜしないの!?」と思うのも理解できるが、正直なところ「どんな選択をいつしようと私の自由なので」と言いたい。

ダウン症のリスク」の男性にはハラワタが煮えくり返るという状態をはじめて体感させられた。女性の高齢出産はもちろんリスクはあるし妊娠率も低下していくのも事実だが、父親の年齢が上がってもやはりリスクがあることを皆さんには知っておいていただきたい。不妊は女性だけが原因ではなく、男性の場合もあるし、若いからといって必ず無事に妊娠、出産できるものでもないことをご存じの方は意外と少ないかもしれない。(詳しく知りたい方はググったり、関連書籍をお読みください。私が説明するよりわかりやすいでしょう。)

乳がんリスク」は13歳年上のパートナーとあるお店でおいしいつけ麺を食べている時に近くに座っていた男子グループの1人が思いっきりこちらを見て言っていた。ちなみに客は私たちとその男子グループのみだった。残念ながら私はよく10歳以上上に見られることがあるので(つまりパートナーと同年代に見られる。お肌の手入れはしているのに!)子どもがいないアラフォー夫婦だと思われたのだろう。その言葉、一生忘れないぞ!チェリーボーイ!!(当時)

20代後半は地元で飲んでいたりして知り合いに会うとだいたいこのような説教がはじまり、私の酒量は増え、体調は悪くなり、どんどんうつ状態が深刻化していって最終的には外で飲める状態ではなくなり節約にもなり、ストレスで食欲がなくなり人生で一番痩せていたのがこの時期であった。良い面もあったと言えるのだろうか(笑)あの経験がなければこの記事を書くこともなかっただろうと思うので、結果的にはよかったということにしておこう。

余談だが現在はお酒の量も減ってほとんど外で飲まなくなり、健康的な生活を送っている。飲むときは家でのんびり飲むか親しい友人を誘って地元の人間と会わない場所で飲むことにしている。お陰様でとても楽しいお酒を飲んでいる。おそらく地元の人たちはストレス発散のために外でお酒を飲み、気が付けば説教をしていたのではないだろうか。中には心から私を心配していろいろと話してくださった方もいただろうが、ああいう話はする方も聞く方も精神的負担が多くなると思う。私は何かを捨てるために飲むのではなく、何かを得るために飲みたい。これは村上春樹さんの作中かエッセイでの言葉だったかな。

 

急かされ虐げられる女性たち

結婚適齢期(30歳前後)を過ぎても未婚だと見下されたり、「早く結婚せよ」と急き立てられ、結婚したら「早く子どもを」と言われ、妊娠してマタニティーマークをつけると「不妊の人に配慮していない」と言われ、控えめに「お腹に赤ちゃんがいます」と書かれたキーホルダーをつけて大きくなりはじめたお腹で電車に乗っても席を譲ってもらえず、店内等で子どもが泣くと迷惑そうに見られる。私には現代の女性は世間から急かされたり、虐げられながら義務的に結婚、出産しなければいけないように見える。もちろん、自ら望んで結婚、出産して幸せな生活を送っている方もいらっしゃるだろうし、環境を変えたり努力すれば快適な状態で結婚生活を送り育児もできるのだろうが、そのためのハードルが多すぎるし、高すぎるように感じる。

幸いなことに私は田舎の方に住んでいるので生活費もあまりかからないし、保育園に入れないという話もあまり聞かないし保育料も安いらしいので比較的子育てしやすい環境ではあるが、それでも私は積極的に出産したいと思えない。

20代前半で体を壊し、自律神経などもやられてホルモンバランスもガタガタになり(ひどいPMSに悩まされ大きな病院で検査までした)、妊娠どころではない時期もあったのでそれも影響しているのかとも考えたがどうも違うらしい。もちろん体調が悪い時期に「早く出産を」と言われていたのはとても負担だったが、一番つらかったのは「自分が結婚や出産をしたいかわからないままプレッシャーをかけられること」だったのだ。このことにほんの数日前に気づかされて、まるで屋根に降り積もった雪がすべり落ちるかのように肩の荷がすっと下りていくような感覚に襲われた。私は積極的に結婚、出産ししたくない20代女だったのだ。そんなことも気づかないなんてバカでしょと思う方もいるかもしれないが、本当に気づかなかったのだ。ただ単に世間の価値観に流されて「いずれ結婚も出産もしなければならない」と思い込んでいたのだ。それは私にとってかなり苦痛だったらしい。

 私は今の生活に満足しているし、健康な体を取り戻してとにかく毎日が楽しい。もちろんつらいこともあるが、それも踏まえて今とても充実している。この時間をもう少し楽しみたいというのが正直な気持ちだ。

このことに気づけたのは身近な友人たちのお陰である。20代後半あたりから友人たちの結婚、出産の報告が続いた。私は自分が結婚&出産をしたいと半分思い込んでいた時期だったので、友人に先を越されてつらいと感じるだろうと頭の隅で考えていた。しかし、SNSや年賀状で結婚、妊娠、出産の報告を受けると自然と頬がゆるんでいるのだ。「おめでたい」「うれしい」「赤ちゃんかわいい」という気持ちが水が湧き出るようにあふれてくる。ここで「なんだ、私は結婚、出産にそこまで執着がないんじゃないか」とぼんやり気づかされたのだ。

北条かやさんのTwitterでの発言や記事の影響も多分にある。この記事も北条さんの文章を読んで書こうと決めたほどだ。内容は微妙にかみ合わないが、興味深い記事ばかりで刺激を受ける。今月のnoteも購読している。(問題があれば即時削除します)

 

 

  都合よく「輝く」女性が求められている?

現代の女性は「輝く」ことが求められていることも私が結婚や出産を敬遠してしまう要因かもしれない。

フルタイムで働き、若いうちに結婚して子どもを産み、子どもを保育園に預けて外で働きながら家事育児もする。夫婦のどちらかの親と3世代同居してお互い支え合い、親が老いたら介護をする。そして、子どもが結婚し孫が産まれたらまた育児をして、老いたら子どもと孫の世話になる。私は女性の負担が多すぎると感じるのだが政治家の皆さんは理想的な家庭と思っていらっしゃるようだ。

私は世間の価値観や政府のモデルプランにどうも馴染めないようなので、自由に人生を楽しませていただくことにした。「少子化なのに」とか「このダメ人間!」と思う方もいるかもしれないが、「国の都合や他人の価値観に沿って生きたくないのでスイマセン」としか言いようがない。

 

だって私の人生だから

両親は私に好きなことをさせて育ててくれたので、私は産まれてから今までの間、自分の人生を生きてきたと自負しているが、私はこれからも自分の人生を歩みたい。いつかは妻や母親になるのかもしれないが、それは一般的にいいタイミングや生物学的に適した時期ではなく、自分が納得した時に実行に移したい。

高齢になってから出産を決意して子どもに恵まれなくても出産をせずに年齢を重ねて後悔してもそれは私が選択した生き方だからそれは仕方ない。だって私が選択したことだし、それが私の人生だからね。

 

私は今年で34歳になる。今でも「(嫁に)行けず娘」と嘲笑われたり、「子ども嫌いじゃないなら産むべき!」と未婚のおねえさまに力説されたりして腹を立てたり疲弊したりするが、20代の時ほどストレスを感じることはなくなった。だって、あの時悩んで考えに考えて出した答えである今の状況、すごく楽しんでいるから。風当たりきっついなぁ!と思うこともたまにあるが、岡本太郎氏の『いつも危険だと思うほうに自分を賭ける。それが生き甲斐だ。』という言葉を胸にとりあえず独身街道を突き進む。私でもこのまま独身で老いていく方がリスキーだというのはわかっている。でも、不安も感じながらもこれからの私の人生どうなっていくんだろうと考えると少しワクワクするのだ。 

正直なところ「子どもがいる人生っていいなぁ」と思うこともある。命を産みだせる体を持っているってすばらしいことだとも思う。でも、私の中にある深い深い洞窟たいなところでもう一人の私が気持ちよさそうに寝っころがって「産まなくてもいいんじゃね?」って気軽な感じで言ってるのだ。説明すればするほど嘘っぽくなる気がするし、自分でもまだ完全に分析ができていないので、ざっくりな説明で申し訳ないがまあだいたいこんな感じ(笑)

私はこの気持ちと洞窟に差し込むわずかな光に賭けたいと思う。 

 

※長くなって申し訳ないが、もうひとつだけ記しておきたいことがある。

これは私の自己満足の文章になるし、流産、死産の話題中心になるので不快に感じ方も多くいらっしゃると思うので、読みたくない方はスクロールしないでいただきたい。なお、ここまで読んでも完結するよう記事は書いてあるのでご安心ください。

最後まで読む方は『だって私の人生だから』の章を一番最後に読むとわかりやすいかもしれません。筆力不足を感じて歯がゆいですが、読んでいただける方は最後までお付き合いいただけると幸いです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

私の人生観を変えた赤ちゃんたちの存在

 20代半ばまでは妊娠すればほとんどの赤ちゃんは元気に産まれると信じていた。もちろん、先天性の障害などを持って産まれる子はたくさんいるだろうが、現代の医療レベルであれば亡くなってしまう赤ちゃんはごく一部だろうと思っていたし、高齢で妊娠した著名人が元気な赤ちゃんを出産したという話をよく耳にしていたので高齢出産もわりと安全なもので成功率も高いと信じていた。しかし、同世代の友人が初期流産してしまったり、健康そうな女性が何度も流産や死産をしてしまったり、高齢妊娠で細心の注意を払っていたのに臨月間近でお腹の中で赤ちゃんの心臓が止まってしまったという話を身近で聞くようになった。この時私は20代半ば、自分が結婚、出産したいかわからず、プレッシャーに押しつぶされそうになっていた時期である。

亡くなった赤ちゃんの祖父母にあたるご夫婦と知り合いだったため死産の状況なども詳しく知ることになった。心の準備もできないまま事実を伝えられ、偶然だが亡くなった赤ちゃんの写真も拝見し、「妊娠=元気な赤ちゃんを出産」と思い込んでいた私にはかなり衝撃的だった。その後、赤ちゃんの祖父母にあたるご夫婦は親切心からだと思うが「こういうこともあるから早く結婚して子どもを産みなさい」と遠回しに言うようになり、最終的には会うたびに「赤ちゃんできた?」などと聞くようになり、私はどんどん追い込まれていった。私がワンピースを着ているとうれしそうにご主人が近づいてきて「お腹にいるの?」と聞いてくることもあったが、私は引きつった笑顔で「いいえ、太りましたかね?」と答えるだけで精一杯だった。今でもあの時の気持ちをうまく表現することができない。亡くなった赤ちゃんのことを思いだして悲しくて、このやり取りを赤ちゃんを亡くした娘さんが聞いたらどう思うだろうと想像すると胸が苦しくなったことだけは覚えている。そして、私が出産することを待ち望んでいるこのご夫婦の気持ちが私に重くのしかかり、つぶされそうになっていた。

当時はこの方たちと親しいお付き合いをさせていただいていたので、私を自分の子どものように思ってくださっての言葉だったと推測するが、それにしてもあの言葉はつらかった。今思い出しても鳩尾に石を押しこめられたように重くなるような感覚がある。これも単なる想像だが、私が元気な赤ちゃんを産めばシアワセになるし、このご夫婦もお孫さんを亡くした悲しみを乗り越えられると思ったのかもしれない。

この後しばらく、というか数年は産まれて間もない赤ちゃんを見ると亡くなった赤ちゃんの顔がフラッシュバックしてしまい、気分が悪くなってしまうこともあった。私は一生、新生児を見て気分が悪くなる体質のままなのかと悩んだ時期もあったが、今は克服したようだ。赤ちゃんを見ると頬がゆるむし、かわいいなと思う。そして、お母さんのあたたかいお腹の中で静かに永久の眠りについたあの赤ちゃんの顔を少しだけ思い出す。忘れることはないだろう。一番つらいのは赤ちゃんを亡くしたご家族だが、私にとってもなかなか乗り越えることできない出来事だった。

しかし、亡くなった赤ちゃんたちを知ったお陰で、「出産は奇跡の連続」ということを知ることができたし、赤ちゃんは存在するだけですばらしいと心から思えるようになった。さらに考えに考えて「私にとって結婚や出産はしなくてもいいものだ」と思えるようになった。当時は意識しなかったが、この時から私は積極的に出産したいと思っていなかったようだし、人に言われて結婚、出産しなければいけない状況がとても不快だったのだ。

お腹の中で芽生えた命を失うということはどんなに悲しいことか私には想像することしかできない。妊娠も出産もしたことがない私がこういうことを書くことは許されないのかもしれないが、私は一生亡くなった赤ちゃんたちのことを覚えいているし、年齢を重ねるごとにいろいろと考えるだろう。出産について考えるきっかけを与えてくれた赤ちゃんたちに心から感謝して、ご冥福をお祈りする。