風に吹かれて

MKKが好きなことを書いたり、怒ったりするブログです。

文章を書くことはコーヒーを飲むことに似ている

年末から胃腸炎になってしまい元旦から病院に行くことになったのですが、丁寧に診察し、やさしく語りかけてくれる医師だったというだけで「なんか今年はツイてるかも」と思ってしまうほど体も心もボロキレのようになっていました。体調管理は大切ですね。こんな私ですが、今年もよろしくお願いします。

 

同居人が年末にサイフォン式コーヒーメーカーを買ってきました。サイフォンのコーヒーが飲めるお店でおいしさに感動して自分で作ってみたくなったそうです。アルコールの管理が難しそうだなとか手入れが大変かもと思っていましたが、慣れてしまえば問題なかったです。布のフィルターを手洗いするのと分解して洗うのが少し面倒ですが、時間をかけてコーヒーを作って飲むという行為は長く楽しめるし、おいしいし、お得だなと個人的に思います。最近は生豆を買ってきて家で焙煎もはじめて、ますます長くコーヒーを楽しめるようになって楽しいです。焙煎はたまにしかしませんけどね。


私のささやかな楽しみはお茶やコーヒーを飲みながら手帳を広げて日記やある事柄に対して感じたことを書き記したり、今後の予定を確認したり、簡単なTo doリストを作ったり、買ったものをメモしたり、美術館や映画館の半券を張り付けて手帳を分厚くしていくことなのです。

この習慣は「よし、やろう!」と思ってはじめたことではなく、中学生くらいの頃から手帳を使っていて自然にこういう形になりました。誰かに見せようとか褒めてもらおうという気持ちはなく、ただ単に自分がやりたいから、楽しいからやっています。

子どもの頃は作文なんて(内容は置いといて)苦も無くさらさらと書けていたし、ノート1ページ分くらいの小説とも言えないような短い物語を書いたりもしていました。今もいろんな形で文章を書くことは続けていますが、これはどうして続けているのだろうと考えてみました。誰に頼まれたわけでもなく、自分の記録のため、自分の気持ちを整理するため、そして自分が楽しむために書くというのは、毎朝コーヒーをいれて飲むことに似ているなと思いました。コーヒーを飲むことも書くこともほとんど習慣になっているみたいです。 

体質が変化して毎日コーヒーを飲めなくなってしまったのですが(最近はカフェインレスコーヒーをよく飲みます。香りもよくておいしいんですよ)、文章はその気になれば死ぬまで書き続けることができるのはすごいことだなとしみじみ思います。

自分のためだけでなく、読んだ人が笑ってくれたり、心に響いたり、寄り添える文章が書けたらうれしいです。